帰宅して食事の合間にNHKスペシャルを観た。
「岡崎嘉平太氏」についての番組であった。
岡崎嘉平太氏は日中国交回復の立役者である。
素晴らしい人物だったのだろう。
番組を観ていたら感極まって涙してしまった。
会いたかった。
うまくいえないが心が開く、通じる、というような事象、状態に心の奥底の本質的な部分で反応せずにはいられないのである。自分の本性が蘇る感覚といったらいいだろうか。そこに本来の自分を見つけ、感極まってしまう。郷愁ではないが本来あるべきものと出会う感覚に近い。
それが涙の理由である。
前にベドウィンの王子の話を聞いた時も同じであった。王子は異国の摩天楼から月に一度、砂漠に戻り、砂漠の民達と火をともし夜を明かす。
彼らの政治的な背景にはほとんど興味がない。
自分が反応するのは行為の意味とは無関係に「ヒロイズム」の持つエネルギーに惹きつけられる。
「人物」という言葉があるが彼らと他の人とで能力的に大幅に異なる部分はない。
「人物」を人物たらしめているのはヒロイズムの魅力と同じように、ロジックの向こう側にある本質的な何かなのだろう。ロジックの向こう側からくる情報に人はあらがえないのではないだろうか。(それは善悪や意味とは無関係に存在している)
人の世界の本質的な原則の一部としてそうした性質があるのではないかと思う。
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