千葉県の小学校で行われた写真記録調査をベースにした番組。
恐ろしい食事が公開されていた。
食べ物がヤヴァイのではなく、構成が凄まじいのである。
例えば朝食。
・ロールケーキとヤクルト
・せんべい
・肉まん
こんな朝食ってあり得るのだろうか?
でてくる子供たちも凄まじい。
「朝は食欲がない」
「朝は食べない」
という子がでてくる。他に肥満の子達が入院し、野菜を食べられるようになるというレポートがあった。みんないい感じにブヨンとしている。さぞかし食べるのだろうなあ、と思っていたら
「朝ごはんは食欲がなくて食べられない」
と朝食はほとんど食べることができないのであった。で、全部食べるまで食事の席を離れてはいけない、と強く言われて二人の男の子がベッドに座ってオイオイと泣いていた。その一人の子がなんというかこましゃくれていてまったくカワイクない。
「好きでやっているわけじゃない」
「来たくてきてるわけじゃない」
「脳梗塞で死んでやる」
と逆ギレして泣いているのであった。人間食べ物のことで強制されるとストレスが爆発するので泣く気持ちもわからなくないでもないが
「ご飯を食べられない」
「野菜を食べられない」
というのはどういう状態なのだろう?
番組ではある男の子の家庭を取り上げていた。彼は大根以外の野菜が食べられない。好物は冷凍食品。家庭にはレトルト食品が山のように常備されている。ある日の晩ご飯。魚の煮物がだされている。しかし彼の食事だけ別である。なんと吉野家の「豚丼」(レトルト)である。このシーンに衝撃を受けた。帰宅した母親が特別メニューと称して豚丼を暖めているのだが僕に取っては信じがたい光景だった。更に男の子は豚丼の中にはいっている玉ネギをすべて取り出して捨ててから「あー、やっとおわった」といって食べ始めていた。それをみている彼の家族も「たいへんだもんな」と適当な対応をしている。自分の幼少期を思うにこれはあり得ん。こんなことをしたら次の日、いや、その瞬間からメシ抜きは確定である。それにしても豚丼の中のタマネギを取り除いて食べるとは…。築地ではネギダクとかやってる人もいるのに…。
番組をみていると子供の野菜嫌いは思ったよりも深刻で一般化してしまっている印象を受けた。
野菜が子供から嫌われているのだとしたらそれには理由があるはずだ。
僕も子供の頃はピーマンが嫌いだった。しかしいつの間にか食べられるようになり、今日はピーマンが食べたいな、と思うこともある。
こうした変化は脳的なものなのではないかと思う。はじめて体験する味についてはその回路が脳にできていないため味を理解することができないからそれをさけようとするバイアスが働く。しかし、回路が定着してくれば後は味を楽しむことができるようになってくるので食べることが楽しくなる。
子供たちの野菜嫌いも野菜という回路が脳に定着していないことが原因なのではないだろうか。
番組の最後では四国のある小学校の事例がとりあげられていた。生徒数は150人位。この小学校では給食の残り物がほとんどでない。(冒頭の千葉の小学校では恐ろしい量の食べ残しがあった)
みんな野菜もしっかり食べている。
その理由はコンテクストにあった。
この小学校では生徒たちが学校の庭で野菜を作っている。
「これはカブ、これはハクサイ、これはニンジン、これはね」
と女の子が水をやりながら菜園を案内してくれた。
彼女たちが栽培しているこの野菜が給食に使われるのである。だから子供たちは野菜に対して想いを持っており、そのコンテクストによって脳は野菜(はじめて体験する情報)に対する拒絶感を弱め、野菜回路を構築する為の導線が形成されやすくなる。と僕は解釈した。
子供たちの野菜嫌いは「脳」の問題だというのが僕の考えだ。
「野菜のおいしさを知らないから」
「本当においしい野菜を食べていないから」
というのも野菜嫌いの理由の一因ではあろう。しかし野菜嫌いという問題の本質は物質としての野菜の出来不出来ではなく、脳内の野菜回路の有無に起因する、というのが僕の考えである。
というわけで今朝はブロッコリーを食べました。
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