「でも本当に悪趣味なのは新聞の記事だ」(By Damien Hirst)
いいかどうかは別にしてこういうことは率直に言えるはずなのである。
本来は誰でも。
何故、言わなくなってしまったのか、問題はそこだ。
だいたい教育のところに行き着くんだが考えないってのが最大の問題なんではなかろうか。
何にしても情報をインプットするだけであんまり考えなくなってしまっているように思う。
電車に時々のるんだけどたまに時間をミスると混んでいる電車に乗り合わせる。
こういう時は電車で人を観察している。
誰も楽しそうではない。
口をへの字に結んでムスっとしてる人が多い。
でもなあ、だったら、なんでそれをどうかしようと考えないのだろうか。
都市と半端にベッドタウンで人がわんさか住んでる町の狭間くらいにあるパっとしない駅でおりると5秒くらいで「はいさようなら」と思うことがある。
まあまあキレイだし、住めばそれなりに楽しいこともあるかもしれない。が、根本的な部分で活気とダイナミズムがない。これはかなり致命傷で人を疲弊させる。じゃあなんでそういう場ができてるのか、と考えればいい、と僕は思う。グチでもなんでもきっかけはいいと思うのだ。そこから考えるというアクションにつなげるのが大事で、それがないと行動もないし、ダイナミズムもない。なんでもいいから脳を使って自分で思考することをはじめればいいんではないだろうか。
日本がどうの、とか、社会がどうの、というのは聞き飽きた話でそんなのを全員が論じる必要はなく、それぞれがそれぞれにとって問題だと思うことは何かとか、それを合理的かつベストに解決するにはどうすればいいのか、を考えればいいと思うのだ。
このプロセスなしに印象やら感情で解決しようとするから議論の前提を共有できずコミュニケーションが不成立になり、情報の循環が滞る。なんのことはない体と同じで循環させてやればあとは自己組織化が進んでいく。
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