この部屋は運河に面しているのだが外でタグボート業のおっさんが騒いでいる。
詳細はわからない。
おそらく何らかの問題が発生しているのだろう。
おっさんの罵声の先には相手がいる。
しかし相手の声は聞こえてこない。
一方的におっさんががなっている。
ひとのがなり声は他者にとって不愉快きわまりない。
当人はそのことに気づかずに罵声をあげつづける。
怒鳴り続ける。
彼は罵声によって問題を解決できるのだろうか。
いや、できないであろう。
それでも彼は声をあげざる得ない。
それ以外の方法を知らないのである。
彼はコミュニケーションに問題を抱えている。
他の従業員に自分の思っていることが伝わらない。
だから憤っている。
問題の本質は彼の船である。
船は機械である。
無生物である。
彼の罵声に対して船が反応することはない。
波に揺られている。
世界中のあちこちで同じようなことが繰り返される。
人の世界が抱える言葉の問題、コミュニケーションの問題は果てしなく深く巨大だ。
メディアが無自覚に生成しつづける言葉の渦は人を翻弄する。
それが言葉と認識される場合、いかに無用な言葉であっても脳が反応してしまう。
言葉は人に影響を及ぼす。
無自覚な言葉の氾濫に対して無防備でいると脳のドライブ感覚が失われていく。
直感でいいので「気持ち悪いな」と思ったこと、感じたこと、感じる人、とは付き合うのを止めた方がいい。
機会を失する可能性を指摘されても、見方が表面的と言われても気にせず徹底してハズすべきである。
合わないものとの接点をつくりだす努力は無駄である。
協調を発生させる可能性を有するものを探すことに時間や能力を向ける方が自然だ。
不自然なことはやらない方がいい。
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